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2009年5月30日 (土)

Mさんを訪ねる

木曜、金曜の2日間、仕事の帰りに人を訪ねました。

いずれも前任校の時にひとかたならぬお世話になった方です。

28日の木曜日は農業を営んでみえるMさんの納屋を訪ねました。
想い出話や楽しいエピソードに花が咲きました。
ここではとても言えないような珍談・奇談も続出して、1時間半ほどがあっという間に過ぎました。

Mさんは、前任校で子ども達の「米作り」にと、田を提供して下さった方です。
有機米へのこだわりから、枯木や雑草、牛の糞尿などを肥料として手間隙かけて米作りをされていますが、隣家から「臭い」と苦情が来るような所では通常の化学肥料を使ったりもしています。
そして、そんな手間隙かけた有機米も「普通に」育てた米も区別することなく「無印」として一緒に出荷しており、「味もたいして違わないだろう」と言い放つ、その謙虚さと豪快さの入り交じったお人柄は大変魅力的です。

前任校ではMさんやMさんのお知り合いの皆さんに助けられて、楽しく充実した「米作り」の活動が出来ました。
それは、現在の勤務校では考えられないようなダイナミックな活動でした。

種籾の袋を一昼夜、薬に漬けるところ(「芽覚まし」)から始まり、籾蒔き、プールサイドでの育苗、その間に何度も田に出向いては土をほじくり返したり耕したり、そして代かき、田植え。
それが済むと、翌日からは水の管理で毎日バルブの栓を回したり苗の延び具合を観察したり・・・。
やがて生えてくる雑草を前に「農薬を使うか否か」の話し合い、害虫の駆除などなど、それらの活動を先回りすることなく子ども達と共に歩みながら、先の手立てをさりげなく準備してくれていたのがMさん達でした。
「水の管理」と言ってもどれくらい田に水を張ればいいのか分らない子ども達や私達のために、「このへんまで水を入れる」という目安の鉄板が田の片隅に設置されていました。
「田の真中あたりが見えない」という声を聞いてか聞かずか、田を十字に横切る手作りの通路が作ってあったりしました。
稲刈り、そして、その後の「はさかけ」、脱穀、籾擦り・・・と「米」の活動は続き、「稲刈りで終り」と思い込んでいた子ども達は、刈り取った藁と籾の山を前に、卒業間際まで「稲」と格闘したのでした。
そして、卒業も近づいた2月の下旬、「来年の米づくりのために」ということで、自分達の田に牛舎から頂戴した牛の糞尿を撒いて、ようやく一年間の「米作り」も終わるのでした。
その一連の活動は、どこも「学びの宝庫」とも言えるものでした。

「明日が田植え」という「しろかき」の一日は、まさに「一年で今日だけしかないお祭り」でした。
全身泥だらけの子ども達が畦に引き上げるとMさんのトラクターが登場し、ガガガーッと田を混ぜ返していく、あの爽快感。
いろいろと「学習内容」とか「追求」とかも大事なんですが、あの「体感」「感触」みたいなものに出会えるってことも「総合的な学習の時間」の存在意義だと思いました。

私が転勤した後も「米づくり」の活動は続き、餅米や古代米(黒米)を栽培したとの話も聞きましたが、英語活動が本格的に導入された今年、ついに「田植えと稲刈りだけ」の活動に縮小されてしまったようです。
いろいろと事情もあるでしょうが、寂しさを禁じ得ませんでした。単に「米作り」の実感、体感度が低下するだけでなく、田を中心に自然にできていたあの「人の輪」も消滅してしまうでしょうね。
私は、今でも忘れられない光景があります。田植えの朝、校舎の窓から田を見下ろすと、もうたくさんの人が「子ども達の田」の周囲に集まっていました。軽トラも数台。
朝の田はもやにうっすら霞んでいましたが、その部分だけが賑やかにうごめいているように見えました。
あのとき感じた晴れやかな気持ち。子どもも大人もワクワクして仕方なかった、あの心持ちを今でも懐かしく思い出します。
Mさんも多くは語りませんでしたが、楽しいお話の合間合間に、学校と距離ができたことの寂しさがにじんでいました。

Mさん75歳。
どうか、いつまでもお元気でお米作りに精を出されますように・・・。