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教育

2013年12月 1日 (日)

師匠の言葉

教師は年数をどれだけ積んでも初任とほとんど変わらない。

経験だけでは教師の成長はない。その経験をどれだけ振り返ったか、失敗と挫折からどれだけ学べるか、そういうこと。
その成長の原動力と後押しになるのが「出会いと憧れ」。すばらしい先輩や指導者と出会い、あんなふうになりたい、あんな授業がしたいと憧れる、そういうことが自分の成長の下支えになる。

2013年4月18日 (木)

初任者研修

 新学期が始まって早二週間が過ぎようとしています。

 今年度も引続き、非常勤講師ですが、今年は9時間の所謂「専科」と10時間の「初任者指導」という、ふたつの役回りです。
 どちらも、やりがいがあり、また、楽しく仕事できる幸せをかみしめています。
 わずかであっても、関係する先生方の力になればうれしいですね。

 9時間の内訳は算数TTが5時間、音楽が4時間です。
 いずれも4年生。
 昨年度、音楽を担当させてもらった子どもたちです。

 初任者指導10時間は、指導計画や書類作成等のデスクワークが4時間、あとの6時間は初任者さんへの直接指導となっています。
 その直接指導はさらに、提案授業(初任者さんの授業を参観して指導する)、示範授業(私が授業をして見せる)、授業指導(授業の計画や指導法の考察、やった授業の反省など)、一般指導(授業以外の学校や教育一般につてのレクチャーや演習)の4つに分けられます。
 週10時間ですが、多少の増減や変更は認められています。
 ただし、1年間で30週(全300時間)は遵守しなければいけません。
「きっちり守る」のが苦手な私ですので、がんばらなくっちゃいけませんね。

 月曜日には「示範授業」として、国語の授業をさせてもらいました。
 久しぶりのことで、とても楽しい45分間でした。
 初任者研修を通して、「教師」という仕事の重要さ、奥深さ、厳しさ、多様さ、楽しさなどを、少しでも多く実感してほしいと思います。
 もちろん、私も、「オレは知っている」なんて高慢な意識に陥らぬように、注意深く、そして謙虚に学び続けて行きたいと思っています。

2011年10月 2日 (日)

教員免許更新

今年の7月から8月にかけて教員免許更新講習を受講した。

7月始めに受講した必修12時間の履修認定は先に届いていたが、昨日、残りの選択18時間分の履修認定証書が届いた。
 煩わしい制度だと思うし、こういうことにどんな意味があるのか、実際に指導している大学の先生の中にも疑問の声をあげてみえる方がいる。莫大な経費も要しているから、いつ廃止になるやも知れぬ。
 私は、そう思いつつも、せっかく受けるのだから自分の仕事に役立ったり見識を広めたりできる講座を選んで受講した(つもり)。
 どの講座も興味深く刺激を受ける内容だった。
 もっとも、私が受講した大学は選択講座をたくさん用意してくれていたから、こういうことができたのだが、大学によっては講座選択の余地は無く、日程も選べないところもあった。

 ともかく、これで全30時間全ての履修認定を頂いたわけで、今度は免許状更新の手続きに入る。
 面倒だけど仕方無いなぁ。

2010年4月10日 (土)

子どものあいさつに思う

4月も早10日。

 新年度に突入して、始業式・入学式、そして、昨日からは給食開始と、あわただしく時間だけが過ぎています。昨日は、授業の合間に身体測定・視力測定などもあり、また、給食初日ということで、本当にあわただしかった・・・・でも、なんと言うか、この賑やかさは嫌いではありません。

 子ども達の放つエネルギーの渦中に居ると、知らぬ間にネガティブな思考や懸案事項がどこかに追いやられていて、体が動いているのです。「元気をもらう」とは、こういうことなのかと思います。まあ、少しはゆったりとした時間も欲しいことは欲しいのですが・・・。

 先日の着任式・始業式では14名の新しい職員と9名の転入生が全校児童の前で紹介されました。特に、転入してきた子ども達のあいさつは心にぐっときました。

 教頭先生が事前に、一言「かんたんに自己紹介してね」と言っておいたらしいのですが、500人の初対面の仲間の前で、少し緊張しつつも、なんとも味のある、いいあいさつをしていました。
 子どもが、言葉を探しながら、自然な間を取りつつ語る様子が、私はとても好きです。思いを言葉にするのに微妙な時間が必要であり、自然と語る速度や間合いが聴き手の「聴こう」とする心を誘います。体育館に、その空気が生まれる時の心地良さ!

 それに対して、我々大人は「湯水の如く」言葉を吐き出すのが当たり前みたいで・・・。

 だいだい私達教師は「言葉」というものを無尽蔵に使いすぎるようです。いや、これは自身の反省で言っているのですが、子どもに対して発する言葉は、もっと精選され研ぎ澄まされたものでないと、結局、子ども達は「聞く(聴く)」ということに鈍感になってしまいますし、言葉に対する感覚・感性も育たないと思います。「話を聞かない子ども達だ」とか言うことがありますが、実は、そういう情況は半分は大人が作っているのだと、私は思っているのです。
 思いつくままに「水増し感」いっぱいにしゃべり、子ども達の頭の上を通り過ぎていくだけの語りにならないように気をつけないといけません。