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2012年2月19日 (日)

1981年度

「1980年」の続きです。

1980年度は、本当に苦しい一年間でした。
後半は学校全体もなんか様子がおかしくなり、授業が成り立たないこともしばしばありました。
当時、灰谷健次郎の「兎の目」を読んでいて、実際の自分の置かれている状況とのあまりの違いに虚しささえ感じました。
現実は小説やドラマのようにはいかない。いや、前向きに何とかしようという意欲を起こすことが、当時の私には難しいことでした。

1981年度(昭和56年度)、私は小学校へ異動しました。
それは、私に訪れた、ある意味「ラッキー」な「リセット」でした。

当時、我が県には「委託生制度」というものがありました。
正式な名称は「小学校教員充実事業なんとかかんとか(?)制度」と言いましたが忘れました。
中学、高校の教員採用試験の不合格者対象に「小学校の教師を目指してみないか?」と呼びかけ、希望者を試験や面接で決まった人数に絞込み、小学校の講師として任用するものでした。
選ばれた者は、一年間、講師をしながら通信制大学で学び、小学校の教員免許状を取得しなければなりませんでした。
その費用は県が負担してくれました。
今は、そのような事業はないと思いますが、当時は、小学校教員の男女比の偏りを是正するための方策として、この制度があったようです。

私は、一年間の高校講師で壁にぶち当たり、かなり投げやりになっていました。
この際「小学校でもいいや」という気もあり、何より正規採用に向けて前へ進みたかった気持ちが強くありましたので、この制度に飛びつき運よく合格となりました。

こうして私は、教育実習もしたことない全く未体験の「小学校」という現場に4月からいきなり放り込まれ、3年生担任として働くことになりました。

(続く)

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